Oyana chips  

郷土史「小屋名」より転載  亀山喜三様文 一部口語体に直させていただきました。

○ 山の子講                           

「山の子、さんせんぼー さざえんやのわいわい」

 <大 意>

「山里の子供は三世のお宝、よい子じゃ、よい子じゃ」


 山の子講の行事は現在も続けられているが、この山の子の歌を知らぬ子も多いようだ。

 山の子も近ごろでは晩秋になると中学生ぐらいの子供が一人か二人で玄関に立って「山の子の銭をおくんさい」といって集金して行く。

 山の子も時世と共に変ったものよと思う、そして何か味気ない念にかられる、ふる里の昔からの風習がこうした形ででも残され続けられていることは結構なことであるけれども、現在の親たちも山の子の行事の本当の意味を子供たちに伝え、後世までも残しておいてやることこそ大切であると思うのである。

 山の子というのは山里の子であり、田舎の子という意味で、山の子の行事は田舎の村だけにあるもので、山家の子供たちは生れながらにいて野や山を友として馳け、山を揺藍に山とともに育ち、健やかに生長するこの山の無事を守り子供たちの守護の神が山の神である。

 この山の神にことしもお陰様で健康で暮せましたと感謝と守護のほどをお祈りする子供たちだけで行う行事、これが山の子である。

 昔の親たちが子供たちだけの世界を大切に愛しみ見守りながら少年期の楽しい思い出にこうした行事を考えてやったのであろう。

 山の子は昔から十二月六日になっていた、丁度秋の収獲も終った時期で農家が取り入れた藁や米を寄せ集めて行うのが、山の子であった。

 子供たちは楽しく山の子の歌を歌いながら一軒一軒回った。

 藁集めが最初で、米を集め時には大豆や醤油まで貰って来た。

 「藁くんさい、わらくんさい、山の子さんぜんぼう」と歌った、歌い役は幼年組である。

 山の子に宿を貸すと養蚕の成績がよいということになっていて喜んで、宿を引き受ける家もあった。

 十二月六日、山の子の当日は午後になると部落の男の子は皆んな宿に集った、幼い子は年長のものが面倒を見て連れて来た。

 山の子の御馳走はあずき(上)ごもく(下)御飯にけんちゃん汁(けんちん汁)であった。

 上級生の者はその準備に忙しい、御馳走の準備が終るころになると、その年に宿に泊らない上級生が親方になって皆んなを連れて山の神にお参りに出かける、子供たちは、列になって山の子の歌を力いっぱい声を張り上げて歌う。

    山の子、さんぜんぼー

      さざえんやらわいわい

    山の子、さんぜんぼー

     さざえんやらわいわい

    山の子のかみそりは、

     よう切れるかみそりで、

    大根切って、菜切って、

     お馬の×××たち割って

   一振って、二振って、三で山へほり上げて

     いばらにかかって、ああいたた

 往き帰り歌い続ける。

 山の神にお参りを済して帰ると御馳走が待っていた。あずき(上組)ごもく(下組)の御飯が山盛りにして箸が立ててある、お菓子も袋に入れてある。

 皆んながこの御飯の前に座ると一、二、三、で声を合せてもう一度山の子を歌う、食事が始まる、上級生たちは給仕役である。

 御飯が済み、お菓子袋を手に嬉しそうに幼な子たちは上級生に送られ帰って行く、潮騒が引いたように宿は静になる。

 宿に泊る上級生たちはまだ行事が残っている、このお泊りする上級生たちの行事は上組と下組は異っていたが下組では上級生が山の神に参るのは夜中の十二時に皆揃ってお参りをする、お供えには小豆飯、生油揚げ、お饌米(せんまい)となっている。

 人と人との交り、村つきあいを第一に考え村の和をはかって来た昔の風習はこうした山の子の行事を考え出したのであろう。

 子供のうちにも皆が一緒になって寝泊りし箸を上げる。

 山の子は成長期のコミュニケイションの場として大きな意義があり、その楽しい思い出となった行事である。

 小屋名の山の神は文久年間の絵図に郡上街道(国道一五六号線)の北側、現在では道路敷となっているが藤田洋傘工場前附近にあったが大正のはじめであろう、道路拡幅のため現在地、昆沙門様の南に把(は)られている。